気まぐれ日記 2015年10月
2015年9月はここ
10月1日(木)「食い倒れツアー初日・・・の風さん」
昨日まで晴天だったのに、起床したら、天気予報通りに小雨模様。
午前中、用事があって出かけていたワイフが帰宅するのを待っていたのだが、なかなか帰ってこない。いつものパターンだ。
私は通常の雑務をせっせとこなし、さらに出発の準備も終えて待っていた。
1泊2日で下呂温泉、高山見物に出かけるのである。
次女の留守中にワイフの空いている日にちはここしかなかった。
そして、下呂温泉にある会社の保養所の(OBも利用できるのである)空き室も1室しかなかった。
ラッキーが重なったのである。
しかし、ワイフは帰宅しない(笑)。
結局、1時過ぎに、昼食も摂らないままキャメロンで出発。
有料道路にあるパーキングでランチにしたが、キャメロンのフォグランプを消し忘れて、雨の中、走って戻って、消してきた。あぶねぇ、あぶねぇ。
ラーメンを食べて再出発。
とにかく雨だ。予報では爆弾低気圧が来ているそうで、激しく降ったり雷雨になったりするらしい。
中央道のSAでトイレ休憩し、シュークリームを食べながらコーヒーを飲んだ。
中津川インターで降りてからは一般道をひた走った。
「ようやく会話できるわね」とワイフ。高速走行中はキャメロンの爆音で話ができないという意味。わっはっは。私には最高のサウンドなのだが。
5時過ぎに保養所に着いた。現役時代は、一度も利用したことがない、古い保養所だ。5部屋しかないことが分かった。
早速、風呂へ。小さい。温泉らしいが、そんな雰囲気がない。露天風呂もサウナもない。人っ子一人いない(笑)。
7時から夕食で、これが今回の目玉「飛騨牛と松茸会席」である。1泊2食付きで一人7千円である。健保組合か会社が半分くらい負担しているのだろう。ビールの生(小)と冷酒(半合)で、私は泥酔してしまった(酒に弱い私は、格安プランにふさわしい)。隣席のグループは高齢のお爺さんが中心だった。うちも同じか(笑)。松茸が美味かったが、国産かどうか怖くて聞けなかった。
部屋でダウンし、風呂場が閉まる午前零時前に突然目が覚め、大慌てでまた入浴しに行ったが、人っ子一人いない。
夜中、豪雨の騒音で目が覚めた。キャメロンの爆音よりも騒々しい。開けてあった障子を閉めてみた。
10月2日(金)「食い倒れツアー2日目・・・の風さん」
7時のiPhoneのアラームで目が覚めた。外は快晴。
根性で起きて、また風呂へ行った。人っ子一人いない。ともかく、これで朝食が美味しく食べられるだろう。
8時から食堂で(本当にテーブルが5部屋分つまり5つしかない)朝食。旅館並みの豪華さで(手作り料理ばかり)、思わずお代わりしてしまった。
隣のリビングにマッサージチェアがあったので、たっぷりと体をほぐした。ワイフは備え付けのガイドブックを研究。
チェックアウトし、駐車場に行ったら、キャメロンがまだ濡れていたので、せっせと拭き上げた。
ところが、走り出したら、助手席のルーフと窓ガラスの間から漏水。オープンカーのキャメロンなので、ルーフは着脱式だ。ゴムの部品がゆるくなってしまったらしい。
小一時間走って高山に着いた。初めてではないが、私には初めてに思えた。ワイフは数回来ているらしい。
パーキングに止めて、近くの売店でみたらし団子を購入。これを食べながら歩くのが定番だという。
古い街並みの通りをあちこち覗きながら歩いた。小物類や土産物を購入した。
昼食をしっかり摂るほど胃は元気でなかったので、ぜんざいを食べた。外に朝顔が活けてあり、青い(ヘブンリーブル―とか言っていた)花がこれから盛りになりそうで、つぼみが多い。質問すると、地元の高校生が朝顔と昼顔をかけ合わせて作った花だそうで、古い街並みに合うだろうと言って分けてくれたのだそうだ。確かにあちこちに咲いていて風情がある(季節感は変だが)。
午後2時過ぎに高山を出発し家路についた。
下呂温泉を過ぎたところの道の駅に寄って小休憩し、よもぎ餅を食べた。
中津川インターから乗って、恵那峡SAでまた小休憩し、今度は五平餅を食べた。
快調に突っ走って(天気がよければ運転もしやすい)、午後7時に帰宅。
途中で買ったソーセージでビールを飲んで、余り物をつつきながらお茶漬けで夕飯を終えた。
老夫婦には十分過ぎる食事で、食い倒れツアーだと私は断言したが、その後書斎で雑務をした私と違い(倒れていない)、ワイフはリビングでダウン(倒れている)していた。
雑務で特筆すべきは、Amazonの買い物である。出発前にある品物を発注しておいたのだが、帰宅してチェックすると、私の希望したものと違う種類のものを発注していたことが判明した。五千円もする品物なのでショックだったが、もしかしてキャンセルできないかと調べたら「発送する前であればネットからキャンセルできる」と書いてあった。調べたら、なんと発送前。プライム会員なのに、発送前。狂喜してキャンセルしたら、本当にできた! そして、あらためて狙いの品物を発注すると、日曜日の午前中に届くことも分かった。ラッキーなこともあるものだ。
ベッドで読みかけの、面白くない時代小説の短編を読み終えて寝た。ワイフの食い倒れツアーはまだ終了しないみたいだ。
10月3日(土)「また疲れて昼寝・・・の風さん」
たまった雑務を一気に片付ける日だ。
朝食後、先ず、電話を2本かけた。良いスタートが切れた。
次にPCを立ち上げて、期限を過ぎてしまった国勢調査をインターネットから入力。来宅した調査員からまだ入力できると教えてもらったのだ。
続けて、祝電の予約。文章もちょっと考えた。記念品を台紙にしたのでお祝いにもなる。
ようやく通常の雑務をこなし、一段落したところで、気まぐれ日記の更新。
昼食をはさんで……と思ったが、ソファで横になったら一気に爆睡。
3時間も昼寝してしまい、宅配便のチャイムで目が覚めた(笑)。
再びPCに向かい、来週の上京中の電車の乗り換えを検索して入力した。あちこち移動するので、事前にタイムスケジュールを決めておくことは重要である。
午後7時から町内会の組長会議があるので、集会所へ行った。例によって配布物が多く、行事も多い。会議の終了する頃、たまらず「高齢化と人口減少が進む中、これからは行事を減らすことを考えなければ、活動を維持できなくなる」と発言してしまった。ここだけの問題でなく、日本全国の地方自治体の問題である。
帰宅してからやっと夕食。
今夜から新しい歴史小説を読み始めた。私の専門分野なので、どれだけ史実に即しているか判断は容易。かなり違っている。
10月4日(日)「筋トレと墓参・・・の風さん」
今日も昨日に続き、雑務を中心にこなした。
朝食後、英語のテープも聴いたが、どうも昔より退化している感じがする。
ここで予定通り宅配便が届いた。
書斎の片付けを少しして、雑誌を少し読んで、気まぐれ日記を更新して、やっと明日からの上京の準備を開始した。
昼食後、筋トレに行った。少なくとも週に1回は体をほぐす必要がある。なかなか行けないので、行けそうなときは行くべしだ。
トレーニング後、備え付けの血圧計で測定してみたら、前回と同様に低い。やはり自宅の血圧計は変だ。
帰宅し、夕方からワイフと墓参に行った。日が短くなってきたので、ボヤボヤしていられない。空気もだいぶ涼しくなった。お墓が近所にあるというのは便利だ。
ドイツへ行っている次女は、今日から大移動になる。ミュンヘンに寄ってから夜行列車でヴェネツィアへ行くのである。格安旅行なので、強行軍である。
明日からの準備ができたので、今夜は早めに寝ることにしよう。
10月5日(月)「上京初日・・・の風さん」
久しぶりの上京である。日中のスケジュールはぎっしり詰め込んである。今日から3日間、全国的に雨の予報は出ていなかったので、傘は持たない。わざわざこんなことを書いているのは、私が東京雨男だからで、少しでも雨の気配があれば、当然、傘はバッグに入れて行く。これ以上我が家の傘を増やすのはあまりにも不経済だからだ(笑)。
電車と新幹線を使い、昼食は車中でパンで済ませた。東京駅から地下鉄を利用して、先ず、最初のスケジュール、人形町の出版社での打ち合わせに向かった。
予定通り、来月の下旬に初めてのビジネス本が(しかも本名で)出版されることを確認できた。
7章のうち5章分の初稿ゲラを受け取った。残りは週末に届けられる。再校もあるそうだ。
初校ゲラは、パッと見た感じ(半分は図表やイラストなのだが)、良い出来になりそうなので安心した。
その後、私は秋葉原へ向かった。2011年3月11日(東日本大震災の起きた日)に夜を明かした場所だ。あれ以来である。もちろん懐かしさなんてない。自分の人生の中でも、強烈な思い出が(母の死へつながった記憶として)残っていて、気持ちは重くなる。しかし、駅の構内や駅前の風景に、あの日を思い出すものは全く見つからない。この雑鬧の中には、国慶節で爆買いに来日している中国人も多いのだろう。かつてパリやローマで見られた日本人旅行客と同じかもしれない。
児童文学の売り込みと編集をお願いしている方(今後はエージェントと呼ぶことにしよう)と落ち合い、近々の作戦会議をした。
最近相談して作成した企画は、週末に出すという。また、その企画の検討会議があるのは今月24日ごろとのことだった。うまく進んでも、次年度の出版計画に入るかどうかといったところらしく、焦らずに進行を見守って行こうと思う。
某社に出してある別の企画は、その後の動きはないらしい。しかし、希望がないわけではなく、気長に私は待つつもりだ。楽しみだ。
ホテルにチェックインし、今日受け取った初校ゲラの校正を始めた。できれば上京している間に終えてしまいたい。
まだまだ年内に仕掛けたいことは色々ある。
iPhoneにハッピーバースデーのメールが来ていたので、近くのレストランへ出かけた。20%オフとのことで、行く気になったのだ。
部屋の外のドアノブに、日経新聞の夕刊がぶらさがっていたので驚いた。チェックインしたので、すぐに届けてくれたらしい。
仕事の続きがあるのでビールなどを飲むことなくホテルに戻り、著者校正の続きをやった。
意外と手こずって、2章分しかできなかった。
今日の最も嬉しいニュースは、北里大学の大村智教授のノーベル医学・生理学賞の受賞だ。受賞内容も素晴らしいが、大村先生の人生が素晴らしい。日本の誇りだ。ただ残念なのは、奥様が15年ほど前に亡くなられていたことだ。この喜びを分かち合うべき大切な人だったと思う。
明日は終日セミナーの講師をやるので、使用するスライドのチェックをしてから就寝した。
10月6日(火)「著者校正を完了・・・の風さん」
セットした目覚ましよりも早く目が覚めた。筋トレをやっているせいか、体調はまずまずである。持参した血圧計での測定値も普通だ。
しかし、メールチェックしたら、某出版社の編集者から、送ってあった企画書のインパクトがないという厳しい返信があった。自分としてはある程度の自信があったので意外だった。少し元気が減った(笑)。
とはいえ、亀の甲より年の功の域に入っている私は、そんなことではへこたれない。しぶとく粘ってみるつもりだ。
セミナー会場のJMA本部にはかなり早く着いた。私としては準備はほぼ完璧だと思っていたので、リラックスして仕事を始めることができた。
午前中は講義中心で、途中、区切りのよいところで受講生に質問をし、4回に分けて全員に声を発してもらった。午後のディスカッションの下地作りでもあった。
セミナー事務局の人とは長い付き合いで、昼食時には色々と情報交換できた。
午後は、グループディスカッション中心に進めた。異業種の人たちが集まるセミナーでは、講師である私がべらべら話し続けるより、受講生同士で議論してもらう方がはるかに有意義な情報交換になる。そして、優秀な人ほど多くの気付きや発見を得るものだ。したがって、グループディスカッションのファシリテートはきわめて重要なミッションである。
予定の5時半までかなり充実したセミナーを進めることができたと思う。もちろん完璧ということはないが、少なくともベストは尽くせた。
実際、セミナーを終えた受講生の多くが、帰るときに私に挨拶してくれたので、満足したのではないだろうか。
セミナー事務局の人からもねぎらいの言葉があった。来年もやりましょうという提案があって嬉しかった。
今夜は弁当などを買ってホテルに帰り、著者校正に全力を挙げた。
しかし、残りの3章分はけっこうな分量で、体調が良かったからできたのだが、就寝は、午前4時20分だった。
今日も嬉しいニュースがあった。東大の梶田隆章教授のノーベル物理学賞受賞だ。56歳と若く、これからの日本をリードしてくれそうだ。
10月7日(水)「パンを買って上京スケジュールを完遂・・・の風さん」
何としても帰りに校正済みの初校ゲラを届けたかった。帰宅してからも忙しいからだ。
結果として、睡眠時間が3時間半になってしまった。世間の理想的な睡眠時間は7時間くらいらしい。せっかく会社員を卒業したので、これまでの乱れた生活を改め、7時間睡眠を確保しようと思っているが、なかなかできない。
チェックアウトで精算するときに、調べてきた愛用のクレジットカードの暗証番号を押してみたが、違っていた(笑)。サインで処理した。
高田馬場の喫茶店で、初めての出版社の人と面会した。今日はお互いの情報交換が主で、出版企画まで話は進まなかった。私としては、お付き合いのある出版社で出しにくい本が出せないか、それが最大の関心事だったが、世の中、そんなに都合良く行くわけがない。
とにかく、新しいお客様(作家にとって出版社は顧客でもある)ができて、これからが楽しみになった。
珍しくレストランでランチを食べ、食後のコーヒーを飲みながら、ホテルで読めなかった日経新聞を一気に読んだ。残念ながら切り抜くほどの記事はなかったので、帰りにレジで処分を頼んだ。
午後は、先ず、ここ数年最も頻繁に足を運んでいる矢来町の出版社へ行った。
現在進行形の仕事の打ち合わせがメインだったが、それ以外の雑談も収穫が多かった。フェースツーフェースでの情報交流は、仕事の基本である。
風の強い日だったが、何度も電車や地下鉄に乗って移動しているので、それほど気にならない。
月曜日に行った人形町の出版社へ行き、校正済みの初校ゲラを渡した。
これで3日間のスケジュールは全部こなすことができた……。
しかし、まだ執念のスケジュールが残っていた。品川駅構内のパン屋でドイツ風のパンを購入することだ(最近の恒例行事)。
都営浅草線の羽田空港行きに乗ると、人形町から品川まで乗り換えなしで行ける。やっと慣れた。
パンの購入を無事に終え、新幹線の待合コーナーで居眠りしてから、予定通りの新幹線に乗車した。
やはり体調さえ良ければ、何でもできる。そんな気がした。
帰宅はかなり遅くなったが、お土産のパンを主食に、とっておきの円周率ワイン(金田先生夫妻から頂戴したもの)も開けた。スペインの赤ワインは、パンとバッチリ合った。贅沢な食事になった。
充実した3日間だった。
10月8日(木)「町内会の仕事と筋トレでおしまい・・・の風さん」
久しぶりにマイペースの1日を過ごせそうだ、と思ったが、町内会の仕事があった。組長会議でどっさり渡された資料を、担当組内に配布し、月末までに集めなければならないのだ。集めるものは、全部で4種類あるのだが、黙って郵便受けに入れて配ったのでは、不親切だと思ったので、説明資料を1枚作成し、それを添付して配布することにした。
資料は1戸あたり6枚になったので、クリップでとめ、配ってきた。ここまでできたところで、もう昼だった。
昼食後、私の最大の課題である筋トレに出かけた。体力不足では、超多忙を乗り切ることはできない。
トレーニングを終えて帰宅してから、ようやく自分の仕事に取り掛かったが、もはや雑務処理をする時間はわずかしかなかった。
夕食後、重要メールを何通か出したが、そこまでが今日の限界だった。
明日は生産技術マネジメント研究会がある。さっさと寝ようと思ったが、突然、色々な用事を思い出し、それらの確認をしている間に、就寝時刻が午前2時になってしまった。
今日は長女が病院で検査を受けた。ワイフに届いたメールによると、大嫌いな血液検査で血を抜かれ、その後、なぜか肺活量の測定があって、死にそうだったとのこと。悪いことは重なるものだ。
10月9日(金)「生マネ研の夜はマイタケ・・・の風さん」
やや寝不足で出発。いつもの金山の会場に到着すると、既にほとんどのメンバーが到着していた。
午前中は尊敬する東レの永安さんのご講演なので、とても楽しみだった。
今日はじっくり時間をかけてデータを見せていただいたが、全体が日本の将来とモノづくり企業のあり方といった思想で貫かれていて、感動した。
まさに私の理想とする講演だった。
昼食もご一緒することができ、意見交換して有意義だった。
午後は、チームミーティングだったが、かなり突っ込んだ議論になって、異業種交流の意義を感じた。
夕食にマイタケのフライが出た。この間の下呂温泉の帰りに、どこかで買いたかったが、運悪く遭遇しなかったマイタケである。ナスやカボチャの煮つけ、湯豆腐も作ってくれて、秋らしい食卓だった。実は私は野菜が大好物である。
夕食後は雑務を少し処理した程度で、これからまた超多忙になりそうである。
10月10日(土)「初校ゲラの校正かお祭か・・・の風さん」
延び延びにしていた長女の部屋のエアコン工事の日程が確定した。それに合わせて部屋を片付けなければならない。最初は長女の部屋に仮置きしてあった物を少しずつ捨てた。次に、私の書斎に空きスペースを作って、そこへ長女の部屋に仮置きしてあった物を運び込む作戦だったが、急がねばならなくなった。肝心の仕事もたくさんあって、うまく処理できるか心配だが、どちらもやらねばならない。
幸い、図書館で本のリサイクルが予定されていて、確認すると、きちんと仕分けした後、リサイクルに回すということだった。ダンボール箱2つ程度は持ち込んで、片付けを促進しなければならない。
昨日のうちにビジネス本の初校ゲラの残り2章分がPDFで届いたので、午後から手を付けた。上京中に5章分をこなした自信から、今日は少なくとも第6章を終了できると思ったら大誤算。プリントしたゲラに、下手な文字でも手書きで朱を入れる方がはるかに早い。修正が多ければ多いほど、それは顕著に表れる。結局、第6章の半分しかできなかった。
明日は、住居地の町制60周年記念行事として、町内に分散している11の山車が初めて一堂に会する。ところが、1週間くらい前から天気が崩れることが予報されていた。屋外行事なので、雨天の場合は延期されて翌日になる。
恐るべき天気予報の正確さで、夜になって雨が降り出した。しかも本格的な雨だ。明日の降水確率は70%で、天気が回復するのは、午後になってからだという。遠い地域の山車は午前5時頃から出発して集合地点を目指す。雨の中、3時間以上かけて引っ張っていくのは、酷だと思う。午前3時に、実施か延期が決まるそうだが、先ず、延期だろう。そうなったら、初校ゲラの校正に集中することになる。
10月11日(日)「11台の山車が勢ぞろい・・・の風さん」
午前8時に町内の放送が入った。何とイベントは予定通りおこなわれる、という! 雨は相変わらずしっかり降っている。午後には上がるかもしれないが、それまですべてのプログラムを強行するということだ。
午前5時過ぎに出発した山車は、既に集合地点近くまで到達しているに違いない。地域の山車と一緒に会場まで歩いていきたいと願っていたワイフの想いは露と消えた。こうなったらクルマで行くしかない。
午前10時ころ会場に着いた。小雨になっていた。野球グラウンドの外野が臨時の駐車場に指定されていたが、ぬかるみ状態で、キャメロンの下回りが泥んこになってしまった。
ちょうど11台目の山車が到着するタイミングだった。知多半島に位置するこの町は、東西が三河湾と伊勢湾に接している。三河湾側の地域からも伊勢湾川の地域からも山車が集結するのだが、会場はその中央にあり、ラストは三河湾側の地域からの山車だった。
ほとんど地域の人たちばかりだと思うが(人口は2万3千人ほどだ)、大勢の見物人が集まっている。イベントでは各山車が、お囃子やからくりの披露をしてくれる。私たちはそれが始まる前に、ボランティアの人たちが運営しているテントショップを回って、みたらし団子や大福、ポップコーンを買った。
各地域は揃いの法被姿で何とも威勢がよい。笛や太鼓のお囃子も、素人芸とは思えぬ哀調を帯びている。確実に過疎化が進んでいるこの地域にも、まだ生命感が残っているのを感じた。
演技を半分見たところで、既にお昼を過ぎていた。雨はほとんど上がっていたが、予定よりも30分以上進行は遅れている。
満足したワイフと一緒に、りんくう(常滑のセントレア近く)までランチを食べに行った。
先日、中産連の人たちと打ち合わせをした場所で、軽食を摂ることにした。空はどんよりしているが、窓から眺めるりんくう地域は、これからの発展が期待される今時珍しい地方である。ドイツへ行っている次女は、あと1週間で帰国する。
帰りにGSでキャメロンを自動洗車したが、タイヤ周りの泥んこを完全に洗い落とすことはできなかった。
夜は頑張って初校ゲラの校正の続きをやった。何とか第6章を終えて出版社へ送信した。東京では5章分を2晩で校正したのに、昨日今日と2日かけて1章分しかできなかったことになる。
10月12日(月)「リサイクル本を仕分け・・・の風さん」
来週、長女の部屋のエアコン工事(壊れたので新品を設置)を予定しているので、片付けを急がねばならない。そのためには、自分の書斎の片付けだ。
今日は先ず、図書館に提供するリサイクル本を仕分けした。小さな段ボール箱で3個分。47冊を選抜した。持ち込むのは木曜日の午後ということで図書館と話し合った。
昼食後、筋トレに出かけた。とにかく私には体力が必要である。少しずつ筋力が戻ってきてる気がしていて、今日はレッグプレスの負荷を元に戻してみた。
帰宅し、ビジネス本の第7章の校正に着手した。昨日のペースから推定すれば、今からでも今夜中に完了できる、と思った。
実際に送付も完了したのは午前零時半だった。やることはまだたくさんあるが、ひと区切りはひと区切りなので、気持ち的に楽になった。
10月13日(火)「ITベンダーへメールで依頼・・・の風さん」
リンガフォンのテープを聴くのがついに6割終了。40年間で何ら進歩がないのは悲しいが、私の数少ない趣味の一つとして残っているわけだ。
今朝も書斎の片付けの続き。何とか捨てるものを発見したい一心で整理している。しかし、なかなか捨てられない。ついでに探し物もしているのだが、それは見つからずに、忘れていた資料や初めて見るような資料が出てくるので困る。とりあえず複数同じものがある場合は、バックアップというより、機会があったらふさわしい人にプレゼントするという目的で、別置きにすることにした。
昼食後、ひと休憩してから、ビジネス本の原稿に画像データを拝借したITベンダー各社へ、使用許可のお願いメールを送る仕事に着手した。現時点のゲラのデータをつけて、お願いするのだが、けっこう手間がかかった。1ヶ所は電話をかけたのだが、遅くなってしまい、明日またかけ直すことで、結局、夕食前までかかってしまった。
週末の講演資料作成に着手したが、疲れが出てきたので、途中でやめ、今夜は少し読書をした。
10月14日(水)「あっちもこっちも完了せず・・・の風さん」
朝一番に電話したことで、画像データを引用する6社すべてへの許可依頼が完了した。あとは時間との闘いである。
懸案の書斎の整理を始めた。今日は和算関連の乱雑になっている資料を、何とか本箱にきれいに並べようというのが目的である。結局、午前中いっぱいかけてやってみたが、終わらなかった。出したゴミもわずかである。
午後になって早くもベンダーからの反応があった。確認のメールもあったが、今日だけで3社は順調に許可が得られそうだった。
そういった対応をしながら、土曜日の講演の準備も始めたのだが、なかなか方針が定まらなかったので、最も重要な資料を再度読み込むことにした。この資料は、講演で主に解説する人物に関する研究書で、たくさん出版されている専門書や小説が参考にしている本である。あらためて読み始めてみて、その研究の精密さに感動する。典拠も明示してあるので、かつて私は、それらの原典にもできるだけ当たろうと努力したのだった。
こうして、ビジネス本の画像引用許可も、書斎の整理も、そして講演準備も、すべて中途半端なまま、今日も終わってしまった。
しかし、今日も愛工大の講義は田村先生にやってもらっていて、非常に助かったと言わざるを得ない。
10月15日(木)「とこなめ会ですごいスピーチを聞いた・・・の風さん」
午前零時にハッピーバースデーメールやFBの書き込みがあった。実力不足のため、超多忙で、青息吐息の私は、すぐ応答することもできず、講演準備を継続していた。
今日もやることが多いので、寝坊せずに起床した。
先ず、かかりつけの病院へ行った。ある検査を勧められたので、受けることにした。先日、兄貴が来宅したとき「血管ドックを受けたが、お前も受けた方がいいぞ」と言われていた。その簡易版みたいな検査だった。両手両足にバンドを巻いて、血圧を測定するような感じで、応答を測定しているようだった。自動で結果もプリントアウトされたのだが、血管年齢が68歳と出た。
医者がカルテを見ながら「お誕生日おめでとうございます」と言った。血管年齢からすると、これから先のハッピーバースデー回数は減少する恐れがあるということだ。
帰りにATMで残高チェックをすると、「黄色」信号である。寿命より先に資金が底をついてしまいそうだ。
昼食後、図書館へリサイクル本を持って行った。キリのよい数字で50冊である。すんなり受け入れてくれたので、できれば来週にでもまた持ってきたところだ。問題は仕分けをする時間がとれるかだ。
講演の準備の続きを始めたが、今夜は「とこなめ会」なので、夕方で仕事を中断し、ワイフに会場まで送ってもらった。
今夜のテーブルスピーチは印象的だった。起業の話で、ジャンルは第六次産業である。ここへ到達するまでの様々な経験がすごいが、何度失敗しようとも熱い想いを持ち続けていることが素晴らしい。ビジネススクールへ通った話は出て来なかったが、喋り慣れている中に、経営的な専門用語がかなり出て来る。たとえMBAは持っていなくても、実戦だけでなく勉強もしているに違いない。
スピーチに酔って、日本酒にも酔ってしまったが、帰宅して、ひと眠りしてから、起業やベンチャーが専門の長沢先生へメールで報告した。いつか、今夜の起業家を紹介したい。
10月16日(金)「今日も1日が長い・・・の風さん」
かなり乱れた生活を送っているが、比較的体調は良い。
今日は天気も良く、かねて約束していたモーニングを食べにワイフを海岸を突っ走った。空は青く、海は穏やかだった。
ワイフがお勧めのモーニングを試しに来たわけだが、私はフレンチトーストがつくセットを注文し満足した。しかし、気の毒だったのは、店の方で、お客がさっぱり来ない。いくら観光地でも、平日となると、地元の人しか期待できないのだろう。
帰宅して、今日は雑務を中止して講演の準備に専念することにした。明日の講演テーマ「人生を考える」はなかなか難しい。いつもの知識や意外ネタ提供型のビジュアル講演ではピント外れとなる。
しかし、迷っていては準備ができないので、とにかく作業を続けた。
夕方になり、今朝と同じように約束していたコストコへワイフと出かけた。
コストコはビジネススクールで知っていたし、地元にできたからと言って、あの量を購入する気にはなれないので、これまで一度も行ったことがなかった。たまたま新聞の折り込みで1日無料会員券というのが入っていたので、重い腰を上げることにしたのだ。
とは言え、この忙しい時に、少し外を歩き回り過ぎではないかと思われるかもしれない。明日、ドイツへ行っている次女が帰ってくるので、気がねなく出かけられるのは今日までなのだ。
しばらく超多忙を忘れて、コストコを見学した。タイヤショップがあることを聞いていたが、私の気に入っているメーカー品があったので、驚いた。BSとミシュランである。実は、この2つのメーカー以外はあまり興味がない。走りを優先する私は、どうしてもそうなる。幸運にも年末に富山へ行けることになった。当然キャメロンで行きたい。しかし、年末の富山となると、降雪が心配される。キャメロンで行くなら、スタッドレスタイヤが必要だ。
行くまでにネットショップなどと比較して、購入先を決めなければならない。
帰宅し、買ってきたパエリヤの半分で晩御飯にした。1日遅れのバースデーケーキ(ショートケーキです)を祝った。
それからまた講演の準備の続きを再開した。
終わったのは午前2時。就寝は午前3時である。
10月17日(土)「東へ西へ・・・の風さん」
午前6時起床。けっこう元気である。
快晴の空の下、午前7時にキャメロンで出発。午前中に静岡県袋井市で講演するのである。ノンストップで行くなら片道2時間かかる。
道路は比較的空いていて、1時間10分ほどで浜名湖SAに着いた。コーヒータイムである。穏やかな浜名湖の写真を撮ってラインにアップした。
そろそろ出発しようかな、と思って駐車場へ向かうと、かつてよく見た車種が駐車してあった。そばを通ると、バックミラーの裏に旧勤務先の駐車ステッカーが! あれれ、もしかして、と振り返ったら……いた(笑)。向こうもこっちを見ている。
いやあ、奇遇ですなぁ、と挨拶。相手はご近所の老夫婦を乗せて奥さんとドライブらしい。立派な社会貢献だ。
得した気分で、またハンドルを握った。目的地まであと40キロ弱。スピードを落として、エアコンを切り、窓を全開にして悠々と走った。
30分前に着いたので余裕だった。
担当の方から、今日の聴講者の顔ぶれをうかがい、期待以上にレベルが高そうだったので大いにやる気が出た。
しかし、講演はちょっと張り切り過ぎた。せっかく質疑応答を仕掛けたのに、いつもの悪い癖で、面白ネタをたっぷり喋ってしまったのだ。
非常に良い質問がたくさん出てきたので、前半の講演は半分くらいにして、質疑応答の時間をしっかりとるべきだった。
持参した本もけっこう買ってくださり、儲けはないものの、元手を少し取り戻すことができた。
帰りにまた浜名湖SAに寄り、パンとコーヒーで軽くランチにして、まっすぐ帰宅した。
午後4時55分着のフライトで次女がドイツから帰国するので、小休憩してから迎えに行こうとした。
すると、ケータイにラインのメッセージが入り、出発が遅れたため、到着便が変更になり、午後8時55分着とのことだった。玄関から出たところで気付いたので、もう少し早く出ていたら、そのままセントレアに直行していたろう。ギリギリに家を出て助かった。
昼寝してからセントレアに向かったのだが、午後9時前という時間帯は、アジア地区からの到着便が殺到するみたいで、白人がほとんど見当たらない、しかし大混雑となった。
その中に、次女より先に、知り合いを発見した。来月、一緒に東南アジアへ行く方である。向こうもビックリ。
他にも旧勤務先の知り合いが出てきたが、たいして口をききたい相手ではなかったので、やり過ごした。向こうは帽子とメガネの私に気が付かなかった。
やっと次女が出てきた。「おかえり〜。元気?」と声をかけたら「元気よ」という返事。実際は長旅でへとへとだろう。
うーん。それにしても、本当にグローバル時代になっているんだなあ、と感じる。出て来る人、出て来る人、特別な旅行からの帰国には見えないのだ。昔、海外旅行からの帰国というのは、免税品を両手に持てないほど抱えてというのが当たり前だった。今は、そんな人の姿は珍しい。
次女からお土産にベンツ博物館で買ったミニチュアカーをもらった。メルセデスのCLKシリーズのオープンカーで、実にカッコ良い。日本ではあまり見たことがないタイプだ。
10月18日(日)「終日、長女の部屋の片付け・・・の風さん」
今日の予定は、長女の部屋の片付けである。20日にエアコン工事をするので、工事が楽にできるようにしておかなければならないのだが、今日ぐらいしか時間がなかった。
当初は必要最小限の片付けにしようと思っていたのだが、やり始めたら夢中になってしまった。いつもの悪い癖である。
結局、本箱や机の上をきれいに整理することになり、そうなるとホコリだらけの人形や本をきれいにする必要がある。窓を開けて、外へ向けてパタパタとホコリを払っているうちに、どんどんエスカレートした。置き場所を変更して、並べ方まで工夫し出す。
本当はそんなことはテキトーに終えて、網戸の修理の準備をするつもりだったが、できなくなった。
さらに今日は、町内会の集金のために近所を回る予定だったが、すっかり忘れてしまった。
自分の仕事はほんのわずかしかできなかった。
明日も朝が早いので、さっさと寝ることにした。
10月19日(月)「1日中走り回っていた・・・の風さん」
有料道路を使って先ずかかりつけの歯科医院へ向かった。3ヶ月に1度、歯周病予防のために歯石除去などをしてもらっていたのだが、昨年の12月以来、超多忙で中断していた。
人財不足などの原因で、あらゆる組織で合理化が進んでいるが、久しぶりに来てみると、料金の支払いが機械化されていた。その分病院スタッフとの触れ合いが減るわけで、何となく気分はよくない。
続いて、精密検査を受診中の胃腸病院へ行った。とても丁寧に説明してくださる先生と巡り合えたので、その先生を指定して予約して行ったのだ。相談に親身になって対応してもらい、中断していた大腸の内視鏡検査を、多忙の谷間の12月初旬に受けることにした。
これだけで12時を回ってしまった。
コンビニのパンとコーヒー(221円)で昼食を済ませ、買い物と給油とATMで現金をおろしからいったん帰宅した。
再びキャメロンで家を出、銀行ATMで預金手続きをしてからホームセンターへ行った。
明日、長女の部屋のエアコン工事があるので、その間に部屋の網戸を修理するため、その道具を購入したのだ。
夜もその準備のために長女の部屋の片付けに集中した。
10月20日(火)「網戸修理職人・・・の風さん」
朝から2階のエアコン工事が始まるかと思ったら、午後からに変更になった。ワイフは名古屋へ出かけていて不在。
今回の工事はかなり大変なので、私は書斎にこもって自分の仕事をしているわけにはいかない。2匹の飼い猫もパニックになる恐れがある。
そこで、懸案の我が家の網戸の修理を同時並行で実施することにした。
長女の部屋の網戸は外してあり、修理のための道具や材料は最低限のものは用意してあった。
庭のウッドデッキのテーブルの上にそれらを広げて、ゆっくりと慎重に作業をしてみた。何せ初体験だ。
1つ目が、予想外にうまく行った。嬉しくなって、こうなったら時間の許す限りやってやろうと思い、急きょ不足しているゴムひもを買いに出かけた。
天気は好いが、もう秋なのでそれほど暑くもない。作業にはもってこいだ。もうやぶ蚊に刺されることもないだろう、と思っていたら、半ズボンから出ている足が何箇所も蚊に刺された。幸いやぶ蚊ではないので、我慢して放っておくことにした。
地元の人しか知らない山越えルートを往復して、ホームセンターでひもを買って戻った。
5時になってもエアコン工事は終わらなかった。私の網戸修理も完了しなかった。しかし、大きい網戸3枚と小さい網戸4枚を仕上げることができた。
エアコン工事が終了して、疲れた体をソファに沈めたのは午後6時過ぎだった。既に外は真っ暗である。
夜は、明日の非常勤講義の準備に費やした。
10月21日(水)「キャメロンで走り回った・・・の風さん」
講義に出かける前にできるだけのことをしておこうと、書斎で頑張った。長女の部屋の片付けは昨夜のうちに終えていたので。
すると、網戸を修理した窓から、裏の駐車場の先にある土地に、農作業に来ている人の姿を発見した。
この土地に関しては、付近の人たちから苦情が出ていた。農薬を撒いたことに対する不満と、大雨の後、土が道路に流れ出して汚くなっていることに対する憤慨である。うちの裏の駐車場も決して胸を張れる状態ではないので、我が家へもその苦情の矛先は遠からず向けられると恐れていた。
ところが、その前に、その農地に対する苦情が、私に向けられたのだ。近所なんだから、何とかしてくれ、というわけだ。
会社員時代から、こういった厄介なことは不思議と私のところへ持ち込まれ、平然と対応していたので、今回もそういうことになったのだろう。
チャンス、とばかりに、表へ出て、農作業をしている人に事情を説明したところ、すぐ謝罪され、対応を約束してくれた。その人に住まいと名前もいちおう聞いておいた。
講義に出かけようとキャメロンで出発したら、早速その人は、道路へこぼれ落ちた土を回収していた。
名古屋の本山に着いてすぐ、近くの郵便局に行った(ここは銀行もあって便利な場所だ)。いくつか用事があったのだが、肝心の振り込みは用紙を忘れてできなかった。ボケだ。
準備がバッチリだったので、予定通りに講義を終えた。
すぐそこから約1時間突っ走って、行きつけの床屋へ着いた。超多忙で、予定より1ヶ月くらい遅くなっていた。
前もって電話で、時間がないので急ぐようにお願いしてあった。手際よくやってくれた。
有料道路を使って、速攻で帰宅した。
今日は長女が来ていて、夜は近所のレストランに行くことにしていた。メール会員である私と長女に、誕生月のプレゼントがあることがメールで届いていたので、しっかりもらうことにした。
水曜日の夜なので、レストランは空いていた。ワイフのおごりなので、少し贅沢をさせてもらった。
満腹になって満足して帰宅した。今日はそのために、私は昼食抜きだった(笑)。
最近元気に動き回っている。筋トレの効果が出てきたのかもしれない。
10月22日(木)「工作機械の見学は楽し・・・の風さん」
ポートメッセ名古屋で開催中のメカトロテック・ジャパン2015に、キャメロンで出かけた。
この展示会の主力は工作機械である。長年生産技術者として仕事をした私だが、組立や検査の仕事が多かった。それで、どうしても機械加工に対して引け目を感じていたので、50代になってから、工作機械の展示会は積極的に見学するようになった。特に、地元で開催されるこの展示会は、便利なので、毎年のように出かけている。これだけ何度も見学していれば、実務経験が乏しくても、多少、勘が働くようになるものだ。
あと、かつての上司の指導に従って、黙って見学するのでなく、スポットスポットで、一つだけでも質問するように心がけている。相手は宣伝したくて待ち構えているので、ちょっとした質問に対しても、何倍もの回答があって、けっこう勉強になるものだ。
今日の収穫は、@設備内に多数配置した温度センサーの信号に基づいて、ツールの動きを制御し、加工精度を一定に保つ技術、A金属粉末を用いたRPだが、マシニングセンターと合体させて、最終形状まで作ってしまう複合機、Bギヤシェービングとマシニングセンターを合体させた複合機。
筋トレのお蔭だろう。長時間の見学でも意外と平気だった。
ただ、今日は往復とも大渋滞だった。もちろん見学者のせいである。これまでもマイカーで何度も来たことがあるが、あんなに遠くの駐車場に回されたのは初めてだった。
明日もキャメロンで遠くへ出かけるので、帰りに給油した。
今夜も長女が泊まって行ったので、夕食時に長々とお喋りしてしまい、雑務はほとんどできなかった。
就寝は午前2時になってしまった。
10月23日(金)「また長距離ドライブ・・・の風さん」
5時半起床(睡眠時間が3時間半だ。やば)。
1週間前の再現となった。ただし、30分早く家を出た。目的地まで約150キロ。ナビをセットすると、予想到着時刻は約2時間後である。
本当に1週間前と同じように、比較的スムーズに突っ走ることができ、1時間10分後に浜名湖SAに着いた。残りは約40キロである。
非常に順調だったので、この後も大丈夫だろうと、ゆっくり過ごした。
海を眺めながらコーヒーを飲んでいると、本当にゆったりした気分になってきた。
袋井インターで降りて、料金所を出たところの交差点を右折するところまで、1週間前に再現だった。
今日は生産技術マネジメント研究会の起業視察で、ヤマハの掛川工場へ出かけたのだ。
実は、20年以上も前にこの工場を見学したことがあった。当時も今もピアノを製造していることに変わりはないが、事業環境は激しく変わっている。
そういった専門的なことはここには書かない。
ハーモニープラザにハイブリッドのピアノが展示してあり、その美しさに魅了された。鍵盤はアコースティックピアノのタッチで、音は電子ピアノなので、ミニチュアのグランドピアノ(つまり奥行きが半分もない形状)なのである。
生産量が減って、自動化工程は増えているが、作業者の感性に頼る部分は依然として多い。楽器はアーチストが作っているという印象である。
午後はチームミーティングで、5時過ぎに私はキャメロンで家路についた。オレンジ色のでっかい太陽に向かってひた走る感じだった。
1週間前と同様に帰りもまた浜名湖SAに寄ってひと休憩したが、その後の東名は渋滞していた。自然渋滞である。
この1週間で900キロ近く走行した。現役でバリバリ働いていた頃に戻ったような感じだ。
10月24日(土)「雑務を集中処理・・・の風さん」
組長業務で、区会費などの徴収をしなければならない。午前中に前準備(領収書の作成など)をし、組内を回った。天気が好く、夏の恰好で歩いたのだが、寒さはまったく感じなかった。5軒残ったが、明日にする。
昼食後、サンルームのパソコンの片付けに取り掛かった。パソコンは長女の部屋へ移動させ、パソコンを載せていたスチール製の専用ラックは分解し、明日粗大ゴミとしてクリーンセンターへ持ち込むのである。今回の粗大ゴミは、小型家電を受け入れてくれるので、一気にOA機器を処分する。デスクトップパソコン1台とノートパソコン2台、それからプリンターとコピー機も持ち込む。その準備をしっかりした。
久しぶりに書斎の片付けにも手をつけたが、あまりにも混乱しているので、とりあえず、スペースを作った書棚に、主に会社から持ってきた私物の資料を押し込んだ。中身の整理や再配置は後日にする。
夕食後、依頼されていた膨大なアンケート調査記入用紙にせっせと意見を記入した。これは明日調査会社に郵送する約束だ。
天気予報によると、明日から徐々に冷え込んでいくらしい。
10月25日(日)「粗大ゴミ、区会費、ゲラ校正・・・の風さん」
朝から風の強い1日だった。
ワイフがトール教室をやっているので、粗大ゴミの持ち込みは一人でやらなければならない。キャメロンは無理なので、アクアを借りて、後ろのシートを倒し、昨日用意したパソコン類を載せた。モノに愛着する私は、どうもこういった作業が苦手だ。できれば、お坊さんにお経を上げてもらいたいくらいだ。それだけ、自分が使用したモノとは別れがたい。
クリーンセンターの近くで自転車の競技がされていて交通規制があり、最短距離で向かうことはできなかった。それで、海岸側を走り、大きく迂回する形でクリーンセンターを目指した。それでも、絶好の青空の下、規制区域外を走る自転車と何台もすれ違った。途中、地元にある小さなサーキットの横も通ったのだが、時間的な余裕があれば、散歩気分で訪れたいスポットはたくさんある。
クリーンセンターは信じられないことに空いていた。私が処理をしている間、1台の出入りもなかった。
帰宅してから、昨日に続いて、区会費の徴収に回ったが、1軒からしか徴収できなかった。残り4軒は夕方にしよう。
やっとビジネス本の再校ゲラの校正に取り掛かることができた。1回目の校正ができているので、完成が近いことを感じ、非常に気分が良い。
夕方、暗くなりかかった頃、区会費の徴収に再び回った。昼間と大違いで風が冷たく感じられる。もう真夏の恰好ではいられない。
最後の1軒で、ご主人と地域の高齢化の話をした。自分の家のことで精一杯で、近所のことはあまりご存知ないようだったが、日本の問題については熟知しておられ、すぐに共感できた。
晩御飯のとき、もらった手作りパンをメインに、グラタンやサラダを食べたのだが、ワイフと缶ビールを半分ずつ飲んで酔っ払ってしまった。夫婦そろって経済的にできているように思われるが、それはアルコール飲料だけなのだろう、我が家に余裕の資産はまるでない(笑)。
ビールの酔いが醒めてからゲラ校正の続きをやった。まだ半分以上残っている。
10月26日(月)「校正を終えてダウン・・・の風さん」
この頃、未明に目が覚めることが多い。寝室のドアの外でちび助が爪かきをする音で目が覚めるのである。年取ったせいとは思いたくない。
まるで犬みたいだが、飼い主(ワイフのこと)が起きるのを待っているらしい。何事もなければ、ワイフと一緒に階下へ降りて、餌をねだってもらうらしい。その前に、つい癖で爪かきをするのだ。ちび助の爪は私がときどき切っているので、異常に伸びていることはない。これは本能でやることだ。しつけもまるでできていない。ま、とにかく、その爪かきの音で私は目覚めてしまう。
今朝もその音で目が覚めた。私は急いでさび付いた体を起こし、ドアを開けて外へ出るのだが、敵は既に階下へ逃げ去っている。
それからまた1〜2時間も寝て、ようやく私の朝がやってくる。
今日はゲラ校正に集中する日だ。問題は何時に作業が終了するか、である。夕食の頃までに終われば、そのままコンビニに走ってクロネコで返却できる。それにしても寒い朝だ。晩秋といった感じだ。
とは言え、校正作業は順調に進んだ。
ランチは昨夜の残りのパンでワイフがフレンチトーストを作ってくれ、豊かな食事となった。
しかし、実は、朝から、ちび助のせいかもしれないが、体調はどんどん悪化していた。寒さのせいもあったかもしれない。頭痛とくしゃみである。
とりあえず昼一番に頭痛薬を服用した。
そのお蔭で、作業は進んだ。しかし、くしゃみは止まらない。花粉症なのか風邪なのか。
夕食が遅くなり、その前に校正作業はゴールに到達したが、もうコンビニに走る気力と体力はなく、私はソファでダウンしてしまった。
10月27日(火)「筋トレには行ったけれど・・・の風さん」
昨夜は、ソファでダウンしたが、午前零時に起き出して、ITベンダーへメールを送り、入浴後、体力回復のため特製のホットミルクを作って飲みながら、再校ゲラの最終チェックをした。したがって、就寝は遅く、今朝は睡眠不足の状態で起きたが、すぐに再校ゲラの梱包をして、コンビニに走った。
8時頃クロネコの発送依頼をしたが、人形町着は明日の午前とのことだった。
帰宅し、出版社へ、着払いで送ったことをメールした。
朝食後、久しぶりにリンガフォンのテープを聴いた。
午後から、これも15日ぶりに筋トレに出かけた。トレーニングルームは空いていた。いつも通りのメニューをこなした。
帰りに集会所へ寄って、組長業務の書類を提出した。
夕方から、やっと送ってもらった児童文学『茶畑のジャヤ』を読み始めた。半分までしか読めなかったが、傑作のようだ。
筋トレの影響で、またソファでダウン。
その間に、ワイフの声で目が覚めた。キッチンのあたりで、さかんに猫のペコをほめちぎっている。「えらいねえ」これは、何のことはない。ペコがゴキを見つけてワイフに知らせたのだ。ショックで私はまたダウンした。
午前零時に焦って飛び起きた。明日の非常勤講義の準備ができていないのだ。
結局、就寝は午前4時近かった。連日、滅茶苦茶な生活リズムだ。
10月28日(水)「留守中に想定外のメール・・・の風さん」
普通に起床。朝食前にメールチェックすると、ビジネス本で引用をお願いしているITベンダーの中で、最後まで確認が遅れていた会社から回答が来ていた。明確な提示があったので、事実上決着した。すぐに出版社へ、再校正の修正という形で、具体的に連絡した。
昨日から読み始めた『茶畑のジャヤ』を持ってキャメロンで出かけた。雲一つない快晴である。気持ちがいいが、クルマは汚れている。
いつもの途中駐車場にキャメロンを置いて、名鉄と地下鉄を乗り継いで本山へ向かった。車中では順調に読書が進んだ。順調にというのは、集中力を維持してという意味で、プロ作家としてきわめて分析的に読み進めることである。この本の出来の素晴らしさは、明瞭に他人に説明できる。
先週出来なかった送金処理を近くの郵便局で終えてからキャンパスに入った。
IDで入場処理をし、コピー機で配布用資料をプリントしてホチキス止めした。
事務の人と雑談し、コーヒーを飲むなど、余裕の講義前の過ごし方だった。
深夜の準備がほぼ完ぺきだったので、講義はスムーズに終わった。自分で作った資料だが、勉強になる。
講義後も紅茶を淹れて飲んで、ひと休みした。
帰りに名駅の東急ハンズで来年のダイアリー(交換用)を購入し、駐車してある駅まで戻ったのだが、そのときまでに、『茶畑のジャヤ』は読了していた。来年、児童文学を書く機会が与えられたら、この本をバイブルとして、レベルの高い作品を書こうと思う。
キャメロンの自動洗車とセルフ給油をして帰宅した。
メールチェックすると、想定外の連絡が来ていた。来月の東京でのセミナーが中止になったというのである。
実は、そのセミナーでは、午前中の講義を終えてから、羽田へ移動し、夕方の便でシンガポールへ飛ぶことになっていた。
シンガポールで別のセミナーの団体に合流するのである。東京でのセミナーがなければ、その日の朝の便でセントレアから一緒にシンガポールへ飛ぶのだが、東京でのセミナーの予定が入っていた私は、単独で、夕方羽田から飛ぶことになっていたのだ。
東京でのセミナーが中止になったことで、私の単独行動の必要性がなくなったわけである。とりあえず事務局へメールを入れ、具体的な対応は明日、電話で相談することにした。
留守中届いていたメールの中に、うれしいメールもあった。先日の袋井市での講演が好評だったとのことで、来年もやらせていただけることになった。
出版社から、クロネコがゲラを無事に届けてくれたことと、ITベンダーの指摘による再修正を終えたという連絡もあった。
10月29日(木)「セミナースケジュールの大変更・・・の風さん」
昨日の急なスケジュール変更の調整のため、少し早起きした。
シンガポールでのセミナーの事務局に電話した。羽田発をセントレア発に変更できるか尋ねたら、団体で行くので、もう席がないかもしれないとのことだった。そして、羽田発の航空チケットは、今日の午前中に拙宅へ届くだろうとのことだった。無理な変更のお願いはやめることにした。
確かに、その1時間ほど後に、チケット類が届いた。
こんなビッグなイベントが迫っているにもかかわらず、その準備が進んでいなかった。当初の予定では、シンガポールでのセミナーでの講演用レジュメを今日中に作成して事務局へ送ることにしていたが、まだできていなかった。
しかし、今日は今日でやっておかねばならないことがあった。
……と、ケータイに電話が入って、セントレア発の航空券が確保できたという。事務局へは手間をかけてしまったが、どうやら団体行動が最初からできそうだ。
少し雑務を片付けてから、キャメロンで外出した。JAで現金をおろし、いわゆるご近所の電気屋さんへ行き、先日のエアコンの工事代を支払った。地域振興券を使ったので、いくらか得したが、そもそも難工事になってしまったので、金額は予定を大幅に上回ってしまった。
帰宅し、どっと疲労が出た。いくらか寝不足もあったが、連日の超多忙で疲労もたまっている。おまけに一昨日の夜から、口内炎である。薬は塗っているが、なかなか治らないし、とにかく痛い。
明日は長女の入院手続きに付き添うため、早朝から行動を起こさねばならない。
だから早寝しようと思っていたが、できなかった。レジュメもできなかった。就寝は午前2時。
10月30日(金)「長女の付き添いと口内炎・・・の風さん」
午前6時起床。私にとってはつらい早起き。子供の頃から早起きは苦手。睡眠時間は長かった。それが、社会人になって一変した。とにかく出社しなければならなかった。帰宅は遅く、休日含めてプライベート時間は作家修行。結婚して家族ができて、地域の仕事やPTAまでやり出して、やることを減らせないなら、睡眠時間を削るしかなかった。そして、あっという間に老境に……。再び子供の頃から幼児へと戻っていく高齢期には、睡眠時間は重要だ。
長女の入院手続きに付き添うため、ワイフと7時に出発。口内炎が治らないので、朝食はホットミルクだけにした。
長女のマンションで長女をひろって病院へ向かった。
主役の長女は終始、いつもと変わらなかった。これに尽きる。だから、わたしたちもいつも変わらない態度をとった。
入院と同時に外泊手続きをとって、日曜日の午後に病院に戻るのだが、外泊中は大部屋で戻ったら個室になるように手配してくれたのは、病院側のファインプレーだった。感謝。
手続きが終わったのは昼近かった。安心したわたしは、それからエージェントに電話を入れて、打ち合わせをした。児童文学の企画が通りそうなのである。今後の作戦を練ったが、第1章のひな型を書く必要がありそうだったので、私から「やりましょう」と提案した。これで、年内がまた忙しくなった。
ランチをするために、病院の近くを探索した。小さくて特徴のあるレストランや喫茶店がたくさんあった。
わたしの口内炎は重かったが、平気なフリをしていた。ランチ後は、目を付けた喫茶店に移動して、ケーキセットを食べた。
ランチもケーキも素晴らしかったが、私の口内炎は最悪になってしまった。
ドラッグストアに入ったら、病院からもらったのとほとんど同じ塗り薬があったので、それを購入した。
長女をマンションまで送り、帰りに買い物とアクアの給油をして帰宅したが、寝不足と口内炎の痛みに耐えていたダメージで、わたしはダウンした。
せっかく作ってくれた夕食もほとんど食べられず、今日は閉店である。やれやれ。
10月31日(土)「忙しいのか無能なのか・・・の風さん」
久しぶりにたっぷり寝た(^_^)。
階下へ降りると、ワイフがおかゆを作ってくれていた。今朝もホットミルクだけにしようと思っていたので助かった。それでも噛むことはできず、すべて飲み込むという、動物的な食べ方。情けない。
焦っている仕事はたくさんあるが、一つずつ片付けることにした。
先ずは雑務。これはルーチンになっているので、黙々と処理していく。書斎の片付けがその中にあり、床に放置してある紙袋を一つ整理できた。うれしい。
この雑務の中には読みかけの本の読書というのもある。かなり分厚い本が読みかけで、今日も1章だけ読んだ。読了までまだ半月くらいかかりそう。
いつものように遅い昼食時間に階下へ降りると、作りかけのおかゆがあったので、自分で温めて食べた。あとで分かったことだが、本当に作りかけだったそうだ。つまり、お米から作り始め、ふやかしている途中だったという。味付けもしていないうちに私が全部食べてしまったので、ワイフは苦笑していた。
午後の最初の仕事は長女からの依頼業務だ。入院中に聴くためにiPodにCD7枚分の曲を入れてほしいというもの。
執筆マシンのiTunesがおかしくなっていたので、古い執筆マシンでやろうと取り組んだが、OSが古くてiTunesをインストールできなかった。
そこで執筆マシンでやってみたのだが、しばらく触っていないうちにアップデートによって回復したらしい。すいすいできた。
口内炎(正確には舌炎かな)でも、コーヒーは飲めるので、ホットタイムにし、それからようやく懸案の仕事に取り掛かった。
シンガポールでのセミナー用のレジュメを2つと、来週末の慶應大学での講演用資料の作成だ。もうやるっきゃない、という状況に追い詰められているので、問答無用で作業を進める。考えながら作成するというパターンだ。あまりクリエイティブとは言えない。
それでも、いちおうの形ができたので、仕上げは明日の夜ということにして、今日は店じまい。就寝は午前2時半を回っていた。
あ、そうそう。晩御飯は卵とじの入ったおじやと湯豆腐。すべて飲み込んだ(笑)。
2015年11月はここ
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